ラファエル・フェルナンデス(元ヤクルト )「まだ野球を続ける」Part1

ラファエル・フェルナンデス(元ヤクルト )「まだ野球を続ける」Part1

貴方はWBC2013で侍ジャパン相手に、見事な力投を披露した元・東京ヤクルトスワローズのブラジル人投手ラファエル・フェルナンデスをご存知だろうか?今もまだ高いモチベーションでNPBに挑み続けるのは何故か?ブラジルから海を渡ってやってき右腕投手の「今」に迫る。


東京ヤクルトスワローズで5年間、そしてWBC2013ブラジル代表で投手を努めた経歴を持ち、戦力外通告を受けながらも高いモチベーションで野球へ取り組み続けているラファエル・フェルナンデス選手(以下、フェルナンデス投手)の想いを紹介する。2013年に東京ヤクルトスワローズから戦力外通告を受けた後、フェルナンデス投手は濁流の中でも挫けずに自身が野球を続ける道を模索し続けた。
以下に戦力外通告を受けた後の球歴をまとめた。

【2014年度】 母国ブラジルのアマチュアチーム「ニッポン・ブルージェイズ」でプレイを続ける

【2014年度冬〜2015年1月】 パナマで開催されるウインターリーグ「リーガ・プロフェシオナル・デ・ベイスボル・デ・パナマ」に参加

【2015年3月10日〜11月26日】 日本の独立リーグである四国アイランドリーグplusの「愛媛マンダリンパイレーツ」でプレイ

【2015年冬〜2016年2月ごろまで】 「オーストラリアン・ベースボールリーグ」に参加

ご覧のように今もなお野球をプレイし続けるために必死にもがいているのだ。サッカーが盛んな南米から日本球界にやってきたこの右腕投手が何故、野球に夢中になるのか?遠い異国の地で野球へ真摯に取り組み続ける漢に、今の思いを語ってもらった。

一本の映画が野球との出会いだった

──まずはフェルナンデス投手が野球をはじめたきっかけは?

小さい時に映画を見て「野球って楽しそうだな…!」って思ったのが出会いです。名前はなんだったかな…、刑務所にいる受刑者がシカゴ・カブスのファンという設定です。それでカブスがワールドシリーズにでると聞いて刑務所を抜けだすんですよ。大人しく観戦していればいいのに試合の途中でホームランボールとったせいで警察に見つかって(笑)。その映画を見て、「なんだ!?このスポーツは!?」と衝撃を受けて野球に興味を持ちました。

──その時はどちらに住んでいたのですか?

サンパウロです。サンパウロも含めて、ブラジルってどこに行ってもサッカーなんですよ。野球をやる自分は珍しい方だと思います。

──フェルナンデス投手はサッカーへの興味はいかがでしたか?

嫌いではないけど、そこまで熱を挙げられなかった(笑)。「そんなに面白いのかな?」と思っていました。コリンチャンスを応援していたけど、そこまでは夢中になれなかったです。今の主力選手達、全然、知らないし。

──ご家族のサッカー熱はいかがでしたか?

お父さんは熱心でした。もう、コリンチャンスの試合は毎試合、満席。TOYOTAカップにコリンチャンスが出場した時も家の家具を全部売って見に行っちゃった人とかもいましたものね。

引っ越しをきっかけに本格的に野球をスタートする

──ご家族もサッカーに熱心な中、野球に本格的に着手されたきっかけは?

映画で野球を知った何年か後にお父さんの仕事の都合で田舎に引っ越して、そこで正式に野球をはじめました。

──田舎の街では野球がプレイされていたのですね!

そうです!その時、自分は10歳でしたが学校のクラスメイトが野球をやっていました。それで野球の練習に連れて行ってもらいました。

──ヤクルト野球アカデミーですか?

この時はまだヤクルト野球アカデミーはなかったです。
他にも日系人の子供の家でメガドライブの野球のゲームを遊ばせてもらって色々と覚えました。あの子達、やっぱり日本との繋がりが深いから出張とかの度にゲームソフトを買ってくるんですよ。

──その野球ゲームは日本語でしたよね?

はい。全然、読めなかった(笑)。でも、あの時代のゲームってシンプルだからスタートのやり方だけを教えてもらえば後は感覚でできちゃうんですよ。日本の皆さんもアメリカのTVゲームで遊ぶ時とかそうじゃないですか?

──徐々に練習をスタートし、ゲームでも野球を覚えていかれたのですね。最初のポジションは?

外野手。もう16歳からは投手もやるようになったけど、15歳までは完全に外野手でした。

──その当時のコーチに外野手に任命されたのですか?

違います、自分のチームに外野手が足りなかったから(笑)。本当は投手をやりたかったです。自分の所属していたチームは優れた投手はいたのですが、外野手が全然、ダメで…。

──外野手をやっていたときのポジションは?

センター。最初はレフトだったけど、上達してセンターにコンバートされました。まだ外野で活躍できる自信はありますよ!

──じゃぁヤクルト時代にチームメイトだった雄平選手みたいに投手から外野手へのコンバートも自信ありますか?

練習すればできるかも。そんなに悪くないと思います。

ヤクルト時代にライトを守った経験も

実際、フェニックス・リーグでライトを守ったこともあります。入団して1年目ずっと肩の怪我をしちゃって、リハビリが終わった時にちょうどフェニックス・リーグがもう少しで終わるってときにやりましたよ。

──まさかヤクルト時代に少しの間とはいえ外野手経験があったとは!きっかけは?

ちょうどインフルエンザが流行っていて皆、倒れていたからです。それで外野手が足りなくなって「フェル!外野を守れ!」って言われてライトを守りました。あの時期、インフルエンザが流行したせいで1軍は苦しい状態で中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズを戦わざるをえなかったですからね…。

──これは…!ヤクルト用語で言うところの「ヤ戦病院」!

そのフェニックス・リーグでは殆ど外野手です。

自己申告で勝ち取った「投手」というポジション

──外野手から投手にコンバートされたきっかけは?

ヤクルト野球アカデミーに入った時です。最初、「ピッチャーはこっちのグラウンドに来て!」って言われたんですよ。自分はどうしても投手をやりたかったのでピッチャーの方に行っちゃいました。そこから投手人生がはじまりました(笑)。

──左利きなのに右投げなのは珍しいですよね?投手をやる上では左のほうが有利だったのでは?

野球は右でやるものだと思っていました。ブラジルでは野球が流行ってないから全然、ルールもわからなかった…!テレビとかゲームでもみんな、右腕でボールを投げていたから右で投げるものだと思っていました。
途中でコーチに利き腕を聞かれて「左利きです」って言ったら、腕の適性を調べるテストを実施してくれました。両手に石をもって遠投したのですが、右のほうが良く飛びました。それで改め右投げで野球を続けることになりました。由規も自分と同じ感じみたいですね。

──その後、ヤクルト野球アカデミーから白鴎大学に進学された理由は?

アカデミーのトップから「君も白鴎大学に行ってみないか?」と誘われたのがきっかけでした。また自分自身も高いレベルで野球をプレイしてみたかったというのもあります。

来日2年間は「言葉」と、「文化の違い」に苦労する

──来日当初、日本語は話せなかったですよね?

全然、話せなかったです(笑)。その時、英語はなんとか話せたんですよ。だけど大学構内で全然、英語も通じなくて苦労しました。それこそ最初の2年間は野球どころじゃないくらい言葉の壁は本当に辛かったですね。他にも食べ物や、文化の違いへの壁も色々ありました。懐かしい…。

──日本とブラジルの文化の違いを感じたエピソードがあれば教えて下さい。

まず、ブラジルには「先輩・後輩」って文化が無いので上下関係の厳しさに戸惑いました。ブラジルはもっと緩くて、凄くショックだった(笑)。

──野球部では文化の壁にぶつかれましたか?

4年の先輩にブラジル人が居たのと、皆、自分が日本にまだ慣れていない事を考慮してくれたので助かりました。グランドでは片言の言葉でもコミュニケーションは取れましたし、先輩のブラジル人が通訳や話し相手にもなってくれていましたからね。
ただ、日本語はもうちょっと早く練習していればよかったとも思っています。プロ入り後、幸いな事に同学年だった横浜(DeNAベイスターズ)の須田と仲良くなることができました。でも、大学時代にもっと早く日本語が喋れたら色々な人と交流ができてプロ入り後に人間関係の輪が広がったと思います。

球速を評価されて育成契約を掴む

──白鴎大学の時はリーグ戦で投げていましたか?

あんまりかな…?
1年の春の時は遅れて5月くらいに来日したから1回くらいしか投げてないです。2年、3年になってからはリリーフとか先発とか。試合数もそんなになかったですけどね。

──東京ヤクルトスワローズへの入団のきっかけは?

自分の球が速かったからだと思う。
後は白鴎大学には飯原(誉士)さんがいたし、他にも大学リーグには良い選手が沢山いたのでスカウトが結構、試合や練習を観にきてくれていたんですよ。お陰様で大学2〜3年のときから自分の球のスピードに注目してもらっていました。
育成契約を掴めた時は夢が叶った瞬間だったから本当に嬉しかったです…!

同期だけでなく先輩達とも親睦を深める

──育成契約結んだときは日本語は大丈夫でしたか?

大丈夫でした。分からない言葉ができてもても「簡単な日本語でお願いします」と切り返せるようになっていましたしね(笑)。その後、白鴎大学から戸田寮に移りました。

──入寮した時は誰と仲よかったですか?

その年に入団した新人たちと仲良くなりました。中村(悠平)、赤川(克紀)、日高(亮)、八木(亮祐)、(新田)玄気さん…。

──先輩はいかがでしたか?

高井(雄平)さん、由規、徳山(武陽)…。グループとか関係なく、色々な人と仲良くしてもらいました。

──母国語が似ている(オーランド)ロマン投手はいかがでしたか?

ロマンは今でも連絡をとっています。トライアウトの前の日に連絡したら、台湾でプレイすることが決まったって連絡をくれたり…。今も色々、定期的に連絡をしています。ナイスガイです。

──言葉が似ていると言えばバレンティン選手とは良く話しましたか?

時々、ご飯を食べにいったりしていましたよ。彼の母国語は本当に衝撃的でした!パピアメント語って言って英語+スペイン語+ポルトガル語+オランダ語の言葉で、彼がAJ(アンドリュー・ジョーンズ)と会話している時は何を話しているかわかりませんでした。

館山投手、バーネット投手からアドバイスをもらう

──先輩投手からのアドバイスをもらった事は?

館山(昌平)さんが2013年に怪我をしてリハビリに取り組まれていた時、色々とピッチングに関するアドバイスを頂きました。投球フォームとか、投げる時のイメージとか…。アドバイスを貰った後は、投球時の身体の横回転を意識するなどマイナーチェンジしました。

──同じ海を渡ってきた投手とはいかがでしたか?

(トニー)バーネットは丁寧に自分の持ち玉を教えてくれました。自分はツーシームを習得したかったのですが、彼は親身にアドバイスをくれました。バーネットってカットボールも素晴らしいけど、ツーシームも落差が凄いですよね!あれで一体、三振をいくつ取ったんだろう…!

──握り方など包み隠さずに教えてくれたのですか?

はい!握り方、リリースの時のイメージ、指の使い方とか…。本当に素敵な投手でした。結局、自分はツーシームをマスターすることができなかったので今はフォークボールに興味がありますが(笑)。
彼は最初、「先発」としてヤクルトに来たけど中々、結果が残せなくて2軍に結構居てその時に仲良くなりました。同じ1軍になれた時も色々とアドバイスをくれました。バーネットの親切な態度は本当にありがたかったです。

満を持しての支配下登録

──2011年に支配下登録されたときの想い出を教えて下さい。

2010年度、ファームで先発ローテーションを守りながらよい感じで投げることができていたし、成績もよかったから「これはもうちょっとで1軍から呼ばれるのでは?」って期待していました。

──1軍への手応えがあったわけですね。

そして横須賀で投げ時も良い結果を残せて、その翌日の朝に宮本(賢治)さんから朝、いきなり「おめでとう!」って電話が来ました。

──いきなりビックリしますよね(笑)。

「昨日の試合の出来栄えのことかな?」と思ったら「神宮に行ってくれ!」と言われて1軍に昇格できました!あの日の朝に戸田球場へ向かうと芝が僕の背番号だった「66」に刈り込まれていたんですよ。あれは本当に嬉しかった…。ただ、後で偉い人から怒られてみたいですが(笑)。今は新垣渚さんが66番を使われているようですね。

──その後、京セラドームでの初登板の想い出を教えて下さい。

1軍になって15日後くらい経って、やっと京セラの阪神戦で登板しましたが全然、ダメでした(苦笑)。平野(恵一)さんにデッドボールをぶつけちゃったり…。ただ、この時の苦い想い出が合ったから翌年の神宮での初勝利に繋がったと思います。

──神宮で初勝利を上げた時も阪神戦で結構、タフな場面での登板でしたよね?

(マット)マートン、新井(貴浩)さんとか…、間違えたら一発、もらっちゃう場面でしたからね。でも投げなきゃいけなかったかった(笑)。
思い返すと自分の短所はコースを狙いすぎてボールになってしまうところです。「真ん中でいいや」というわけではないですが、もっと簡単に投げれば上手く行くと経験を重ねて学びました。

〜元ヤクルト投手ラファエル・フェルナンデスがNPBに懸ける思いPart2へと続く〜

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